ロックンロールの始まり
白人開拓者たちが民謡から発展させたカントリー・ミュージック は、1920~30年代にはアメリカ全土に広まります。
一方、南部中心に発展したゴスペル、ブルース等の黒人音楽も1940代になると、だんだん洗練され、リズム・アンド・ブルースという音楽へと発展していきます。
そして、1950年代中期ごろ,このカントリー・ミュージックとリズム・アンド・ブルースが融合し、生まれたのがロックンロールです。
このロックンロール最初のヒット曲と呼ばれるのが、1955年にビル・ヘイリーとコメッツの校内暴力をテーマとした映画『暴力教室』の主題歌『ロック・アラウンド・ザ・クロック』 と言われています。
しかし、このビル・ヘンリー自体中年男性であり、音楽的にはティーン・エイジャーの心を捕らえたものの、彼自身がティーン・エイジャーのカリスマとなることはありませんでした。
最初のロック・スター
1954年、テネシー州メンフィスの若きトラック運転手、エルヴィス・プレスリーがデビューします。若く、ルックスも良かった彼は、ティーン・エイジャーが待ちに待ったカリスマとなるに十分な魅力を持っていました。
ティーン・エイジャーのカリスマとなったエルヴィス・プレスリーは、『ハートブレイク・ホテル』『監獄ロック』などの激しいロックンロールや、『ラヴ・ミー・テンダー』などの甘いバラードで,世界中を魅了していきます。
その一方、エルヴィス・プレスリーが腰をシェイクしながらエロティックに歌うほどに、良識あると言われる大人たちは眉をひそめましたが、それがかえってティーンの心をくすぐり、彼をよりいっそうロックンロールのカリスマへと駆り立てていくこととなります (エルヴィス・プレスリー が「エド・サリバン・ショー」に出演したとき、テレビ局は非難されるのを恐れて、彼の上半身しか写さなかったと言われています)。
ロックンロールの終焉
ロックンロールの誕生からたった4年、1954にエルヴィス・プレスリーは愛国者であることを示すために徴兵に応じ、2年間ミュージック・シーンから姿を消すことになります。
1959年にはバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスを乗せた飛行機が墜落し、2人のスーパー・スターが死亡してしまいます。また、ロックンロールの神様チャック・ベリーは、黒人差別的な判決で2年間服役させられてしまいます。さらには、1960年には自動車事故でエディ・コクランが死亡、同乗のジーン・ヴィンセントも重傷をおおってしまいます。
このように、まるで呪われているとしか思えないような出来事が次から次へと1950年代の後半にロックンロールの世界を襲っていきました。
このような出来事が続き、ロックの存在が危うくなった時期、ティーン・エイジャーの心を捉えていったのが、口当たりの良いポップス・ソングでした。
商品としてのロック音楽
コニー・フランシス、ポール・アンカといったシンガーが台頭し、ほのぼのとしたポップスに一時はティーン・エイジャーも傾倒してましたが、一旦ロックンロールの洗礼を受けたティーン・エイジャーにとっては、なにか消化不良のような感覚がのこっていたのも事実でした。
その一方で、ロックンロールが若者に受け商売になることが分かると、ティン・パン・アレイの音楽業界もロック・ビジネスに参入してきました。このことによって、ロックは "売れるレコードを制作する" ということに傾倒し、完全に商業ベースへと変化していきます。
このティン・パン・アレイの時代には、シンガー・アンド・ソングライターのキャロル・キングや作曲家のバート・バカラックが台頭し、名曲を次々と生み出していきました。また、"サーフィン・自動車・女の子" といったひたすら明るいウェスト・コースト・ロックを生みだした初期のビーチ・ボーイスが活躍したのもこの時代でした。



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