1942年4月24日ニューヨーク、ブルックリンに生まれ、幼い頃からショービジネスの世界に憧れ、近所の知り合いの前で歌ったり演技したりしながら育ちます。
タレントコンテストでの優勝をきっかけにクラブやバーで歌うようになったバーバラはオフブロードウェイの舞台にも立つようになり、「Miss Marmelstein」の歌唱で注目を集めました。そしてついに1962年コロンビアレコードからデビューします。1963年2月に発売されたデビューアルバムはベストセラーとなりグラミー賞を受賞するなどバーブラ・ストライサンドのシンガーとしてのキャリアがここからスタートしました。
70年代に入り、女優としてのキャリアを重ねる一方、映画の主題歌も歌い、「追憶/The Way We Were」「LOVE THEME FROM "A STAR IS BORN" (EVERGREEN)」はともに全米No.1に輝くなど、多彩な才能を発揮していきます。また78年にニール・ダイアモンドとのデュエット「愛のたそがれ/You Don't Bring Me Flowers」、79年にドナ・サマーとのデュエット「NO MORE TEARS (ENOUGH IS ENOUGH)」でも全米No.1を獲得しました。
1980年にはビージーズのバリー・ギブを迎えて、アルバム「Guilty」を発表しました。ここからは「WOMAN IN ME」(No.1),「GUILTY」(No.3),「WHAT KIND OF FOOL」(No.10)の3曲の大ヒット曲が生まれ最終的に500万枚を超えるセールスをあげる大ヒットアルバムとなりました。
91年には、映画「サウスキャロライナ/Prince Of Tides」で主演、監督そして音楽も担当しアカデミー賞で7つの部門でノミネートされるという成功を収めるなど、ミュージシャン兼女優という華々しい経歴を重ねています。
代表的なアルバム
People [ピープル]
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65年に発表されたバーブラ4枚目のオリジナル・アルバム。バーブラ主演のブロードウェイ・ミュージカル「ファニー・ガール」のハイライト曲「ピープル」がシングルでも大ヒットし、その曲をタイトルに冠したこのアルバムも初の全米No.1を獲得することになりました。バーブラの初期作品の中では比較的アクが少なく、美しい歌声を存分に堪能できる作品になっています。
Guilty [ギルティ]
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80年にリリースされた作品です。「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットで当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったビージーズのバリー・ギブが全面バック・アップをして作り上げた、バーブラにとって異色ともいうべき「ポップ・アルバム」です。ターンテーブルにCDを乗せプレイ・ボタンを押して流れてくるのはどこまでも心地の良いメロディ、バーブラとバリーの軽やかなデュエットが絶品なタイトル曲「ギルティ」で幕を開けた後は、まさに極上のポップ・ワールドが展開していきます。最高位3位を記録したそのタイトル曲、1位となったミディアムなグルーブ・ナンバー「ウーマン・イン・ラブ」、10位となった「ギルティ」とは一転しっとりと悲しみを演出する「別離」となんと3曲のトップ10ヒットを輩出し、アルバムも全米No.1、グラミーでは最優秀ポップ・デュオを受賞と破格の成功を収めました。
The Way We Were [追憶]
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74年に発表されたオリジナル・アルバムで、シングル「追憶」の大ヒット(シングルではバーブラ初の全米No.1)に伴い急遽過去のレコーディング作品に新曲をプラスして製作されたアルバムです。前半がこのアルバム用に録音された新曲で、キャロル・キング、ポール・サイモン、スティービー・ワンダー等当時の人気作家の作品をとりあげており、後半がシングルとして発売されていたり、別のアルバム用に録音されてお蔵になっていたと思われるミシェル・ルグランの曲とスタンダードで構成されています。
Higher Ground [ハイアー・グラウンド]
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クリントン大統領の母の生き方に感動したバーブラが彼女に捧げた作品。古典的バラードのメドレー「アイ・ビリーヴ~ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」,セリーヌ・ディオンとデュエットする「愛を伝えて」,70年代の名曲「エヴリシング・マスト・チェンジ」など,全曲がアリフ・マーディンほか最上のスタッフによって隙のない仕上がりになっています。






