ブルース・ロックの女王
彼女のベースはジャズやブルースでした。しかしサンフランシスコの移り、「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」と活動をともにすることになり、そのボーカル・スタイルはロックの要素を取り入れていきました。その結果彼女のスタイルはブルースとロックの融合であるブルース・ロックとなりました。
その当時ブルース・ロックを歌う女性ボーカリストはいなかったため、彼女は試行錯誤してそのスタイルを確立していきます。そのボーカル・スタイルはブルースをベースにしたロックを歌う女性ボーカリストたちの手本となっていきました。彼女が「ブルース・ロックの女王」の呼ばれるのはそのためです。
魂の叫びといわれる反面、彼女の歌の内容はかなりチープでもあります。彼女の歌を言い表すとすれば一言で済むからです。
男がほしい!
こういうと元も子もないように聞こえるかもしれませんが、彼女自身の性格や生い立ちを考えると彼女のもっともほしいものは男であり、その男との幸せな結婚生活だったのです。
しかしながら、そのようなチープな願望を恥ずかしげもなくストレートに表現できるその姿にこそ(貴方は恥ずかしがらずにそれをオーディエンスの前で叫べますか?)彼女のすごさがあったのです。
アーティスト
ヒストリー
物静かな少女時代
テキサス州ポート・アーサーというメキシコ湾に面した田舎町で、ジャニス・ジョップリンは生まれました。彼女の家庭は典型的な中産階級のサラリーマン家庭で、絵を書いたり詩を書いたりするのが好きな少女だったようです。
孤独への旅立ち
最初はジャズが好きなジャニス・ジョップリンでしたが、レッド・ベリーのアルバムを聴いたことがきっかけでブルースへ傾倒していくこととなります。
それが彼女の転機となります。当時のアメリカ南部は今よりずっと保守的であり、白人女性でありながら黒人の音楽であるブルースを聴いていることや派手な服装をしていたことで、彼女は回りの社会から浮いた存在へとなっていきます。
そんなジャニス・ジョップリンを慰めるのが唯一歌を歌うことでした。自分が通う大学の近くのバーで歌い始め、そこで知り合った男からサンフランシスコ行きを誘われます。彼は彼女の歌の評判を聞いた「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」メンバーからバンドに誘うように雇われていた男でした。
しかし、ジャニス・ジョップリンは分かっていながらその申し出を受け、サンフランシスコ行きを決めます。彼を愛していたからです。
惚れっぽく傷つきやすい性格
このように彼女は惚れっぽい性格だったのです。しかもだまされていると分かっていても尽くしてしまう。そういう性格だったようです。自分でも容姿やスタイルに自信のなかった彼女にとって、自分に声を掛けてくれ優しくしてくれる男は貴重な存在だったのかもしれません。
その傾向は最後まで彼女に付きまとっていきました。それは彼女の歌の歌詞にも現れています。男に愛されたいという激しい衝動、振られることに対する深い悲しみや苦しみなどがあのように激しい歌い方になったとも言われています。あの搾り出すような歌い方は彼女の魂の叫びだったのです。
一夜にして伝説に
ジャニス・ジョップリンは「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」とともにデビューします。そしてその演奏にあわせ、彼女はそのボーカル・スタイルも変えていきました。その結果が後の女性ロック・ボーカリストたちへと多大な影響を与えていくことになります。彼女が女性ロック・ボーカリストの元祖といわれる所以はそこにあります。
1967年カリフォルニアで行われた「モンタレー・ポップ・フェスティバル」で、今までの努力の結果が実を結ぶこととなります。B.B.キングなどのブルースの大御所と同じステージに立つことになったのです。そのステージで彼女は「ボウル・アンド・チェーン」を歌いました。
彼女が歌い終わり、手にしていたマイクが手から離れステージ上に落ちると、観客はその歌の素晴らしさにスタンディング・オベーションしました。彼女の歌はオーディエンスを圧倒したのでした。その拍手はかなりの間鳴り止まなかったと言われています。
そして、ジャニス・ジョップリンはその夜一夜にして伝説となりました。
ブームや時代など関係ないパワーの源とは?
ジャニス・ジョップリンが活躍した60年代後半はサイケデリックな時代でした。ブルース・ロックで男と女の関係を歌っていた彼女は、時代とはマッチしていませんでした。しかしながら、そんなことなど関係ないほど彼女の歌にはパワーがありました。それが彼女をその時代でも第一線にとどまらせていた理由でした。
しかし、華やかなスターである一方、彼女は愛に飢えており、いつも悲しみを感じていました。それが彼女を酒やドラックにおぼれさせる原因となりました。それは彼女自身のコンプレックスからくる弱さゆえだったようです。
そして1970年10月4日、彼女はハリウッドのホテルでたった27年の生涯をとじました。死因はドラックのやりすぎだったようです。彼女の遺作となった「パール(彼女が大好きな宝石で、彼女のニックネーム。ジャニス・ジョップリンはこのニック・ネームを非常に気に入っていたようです)」のレコーディング途中のことでした。
彼女の生涯はベット・ミドラー主演の映画で見ることが出来ます。これはベット・ミドラーにとってもマスター・ピースと言えるほどの好演との評価の高い作品です。内容的にもドキュメンタリーというにはあまりにもドラマティックすぎるジャニス・ジョップリンの一生が描かれています。また、映画内の歌うシーンはベット・ミドラー自ら歌っているのですが、非常に素晴らしい歌を聞かせています(彼女はこの映画の後本当にレコード・デビューしてしまいました)。
代表的なアルバム
パール [Pearl]
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ジャニス・ジョップリンの遺作。ジャニス・ジョップリンは、このアルバムをレコーディング中に麻薬の大量摂取が原因で死亡しました。宿泊していたホテルのベットの上で発見されたようです。その手にはタバコを買ったつり銭が握り締められていました。
レコーディング途中だったため、このアルバムには3曲のライブ・トラックが足りない分を埋めるように収録されています。
この当時ジャニスは新しい恋人もおり、結婚もささやかれていました。そんな幸せの絶頂にいたはずなのに何故このような悲劇が起きてしまったのでしょう?
それはひとえに彼女の弱さゆえだったのだと思います。どんなに幸せになろうとも、どんなにスターになろうとも、小さなころから感じ続けた劣等感は拭いきれなかったのです。それが酒におぼれ、麻薬におぼれる結果になり、最後はこのような結末を迎えることになったのです。
このアルバムにも収録されている通り、「愛は生きているうちに」こそ意味があるのに、死んでしまってはもうどうしようもありません。しかし、その弱さからくる叫びは私たちの心の中へ「あなたはどうなの? そんなに強いの?」と問いかけてきます。誰にでもある心の闇の部分をです。
彼女の遺言どおり、彼女の遺灰は太平洋にまかれました。その遺灰は彼女の心の闇と同じ海深くを漂っているような気がします。
チープ・スリル [Cheap Thrills]
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バックの演奏なんて関係ない、といえるほどジャニス・ジョップリンの歌が印象的な一枚です。このアルバムはジャニス・ジョップリンの名を世界中に広めた一枚として有名です。モントレー・ポップ・フェスティヴァルで一躍有名になった「ボール・アンド・チェーン」も収録されています。
この「ボール・アンド・チェーン(=足かせ)」は男に捨てられ、泣き叫び、悪態をつき、深い悲しみを搾り出した曲ですが、これはもう歌じゃありません。心の奥から搾り出す慟哭です。これほど深く人は傷つくことができるのか、と思うほど情感のこもった曲です。
「何故、私は自らこんな大きな足かせを選ぶの? どうして自分から苦しむようなことをするの?」
そう歌うジャニスが悲しすぎます。
そして、ジャズ・シンガーが好んで歌うサマータイム。
「夏の日、魚が海からジャンプし、...人々はビーチで楽しそうにしている。...寂しくない?」
男に捨てられ、亡霊のようにビーチを彷徨う。すべての風景は色を失い、暑さも感じない。搾り出すようなウィスパー・ボイスで歌うこの名曲。心を揺さぶられます。
グレイテスト・ヒッツ [Greatest Hits]
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ジャニス・ジョップリンの死後に発表されたベスト・アルバムです。このアルバムは本当にベストと名をつけてもいいアルバムです。はっきり言って捨て曲が一曲もありません。
でも、それがまた欠点でもあります。なんだかご馳走をてんこ盛りにされているようで、聴き終わったときにはどっと疲れます。このサイトのプロフィールでも書いていますが、やはり良作駄作があってこその名盤です。これはチョットやりすぎ。
このアルバムはジャニス・ジョップリン入門編、または「伝説のロック・クイーンって聴いているけどどんな感じ?」という興味本位で聴きたい人にとっては非常に良い作品だと思います。ただ、本当にジャニス・ジョップリンを聴いてみたい人にとっては彼女の息遣いを感じられる「パール」や「チープ・スリル」がオススメです。





