ポップスから芸術へ
ビートルズ (The Beatles) はイギリスのロックンロールバンドです。世界的に最も広く知られ、成功したロックバンドの一つです。イギリスのリバープールで結成、1962年にイギリスでレコードデビュー、1970年に解散しました。
ビートルズは、20世紀最大の音楽家といって過言ではないでしょう。従来のポピュラー音楽の概念をくつがえし、音楽のみならず、20世紀の世界の社会、文化、ライフスタイルに与えた影響は計り知れないものがあります。
多くのヒット曲をはじめ、オリジナル曲のほとんどは、「レノン&マッカートニー」名義です。ただし、2人が実際に共作した曲は30曲程度かそれ以下とみられます。ジョンまたはポールのどちらかがほとんど1人で作った曲についても、作者クレジットは「レノン&マッカートニー」となっています。これはビートルズ結成当初から、二人の友情を表す証として、いかなる場合でも「レノン&マッカートニー」と連名にする約束をしていたからですが、そのことが後に二人がもめる元になってしまうとは皮肉なものです。
また当時の風潮として、ポップス音楽は、作詞作曲、演奏、歌がほぼ完全に分業化されていました。これに対し、ビートルズは当初はR&Bのコピー曲があったものの、中期以降はすべて自分たちのオリジナル曲であり、デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥー」以降、シングル・カットはすべてオリジナルという、当時としては非常に珍しいスタイルだったと言えるでしょう。
以上のとおり幅広い楽曲を作ったビートルズは、、デビュー当時は単なるロックンロール・バンドと見られましたが、その音楽的な領域は、単なるR&Bにとどまらず、バラードからハード・ロック、バンド音楽からピアノ曲まで、ありとあらゆるジャンルに広がりました。そのため、ビートルズ以降の世界のポップス音楽はすべての領域で、多かれ少なかれビートルズの影響を受けていると言われています。と同時に、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のように高い音楽性を示す作品も作り出しており、バンド音楽、ボップス音楽をある種の芸術にまで高めた功労も非常に大きいでしょう。
アーティスト
ヒストリー
デビュー以前
レコードデビュー以前のビートルズのメンバーとしては、スチュアート・サトクリフ(ベース)とピート・ベスト(ドラム)の2人がよく知られています。このスチュアート・サトクリフが脱退したことでポールはベースを担当することになります。また、ビートルズとしてデビューするために、他のバンドからリンゴ・スターを引き抜き、ピート・ベストの代わりにしました。
ボーカリストは誰?
ビートルズがデビューした当時、リズム・アンド・ブルース系やドゥーワップ系のグループなどではメインのボーカリストを立て、残りはそのバックというスタイルが主流でした。そこで、マネージャーのジョージ・マーティンは誰をメインのボーカルにするかで悩みます。というのも、彼としてはジョンをメイン・ボーカルにしたかったのですが、ポール自体の声も捨てがたかったからだと言われています。
結局、悩んだすえにポールとジョンという2枚看板でいくことになったのですが、これは当時としては珍しいパターンだったと言えます。初期の頃の曲『シー・ラヴズ・ユー』『抱きしめたい』などのように、どちらがメインでどちらがサブか分からないようなスタイルは斬新であったと同時に、新しいスタイルであるが故の迷いのようなものもあったからと思われます。
アイドル・バンドとしてのライブ付けの日々
しかしながら、その斬新なスタイルは多くのリスナーに絶大なる支持を受けることとなります。彼らの人気は日増しに高まっていき、ライブを求める声に応えるためハードな日程でライブをこなすようになります。その頃の苦しみやつらさは『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のなか「ハード・デイ・アンド・ナイト」で歌われているので誰もがよく知っていることでしょう。そして、その生活に疲れた彼らは1966年のアメリカツアーを最後にライブ活動を停止してしまいます。
ビートルズはイエス・キリストより有名?
ビートルズがまだ世界ツアーをしていた当初、ジョンが「ビートルズはキリストよりも知名度が高い」といった発言により、アメリカ合衆国各地や世界中のキリスト教国に於いて、デモが行われたり、レコードやポスターが焼かれたり、彼らの楽曲のオンエアを控えざるをえなくなったラジオ局が増えたりと、大変な騒ぎとなったのは有名な話です。この一連の騒動についてはジョンは、"イエス・キリストを批判したわけではない、僕らが有名になったことを説明したかっただけだ"、といった釈明をしています。
ただし、この一件は単なる「舌禍事件」にとどまらず、ビートルズの活動内容に転換をもたらすとともに、特にジョンが自らとビートルズとの関わり方を見直してゆくことになるターニング・ポイントとなる事件でもありました。もはや自分が自由なアーティストではなく、言葉一つにもジョーク一つにも責任を持たなければならなくなったことに気づいたのです。そして、そのことが彼らを苦しめ、ビートルズという一人歩きし始めた巨人から精神的に離れていくようになります。
ポップスから芸術へ
ライブ活動を止めたビートルズはスタジオにこもり、新しい作品を制作してきました。そして仕上がったのが「リボルバー」でした。このアルバムは随所に実験的な試みがなされ、ライブで再現不可能なサウンドを作り上げます。これは初期の頃の1曲1曲の寄せ集めとは違い、一枚のレコードをトータルで考えた一つの芸術作品と言えるでしょう。
彼らのそういった芸術志向は、アコースティックな「ラバー・ソウル」、金属的なサウンドの「リボルバー」を経て、ロックの金字塔「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」への結集されていきます。このアルバムはロック史上初めてのコンセプト・アルバムとしてあまりにも有名な1枚です。ただ、色んなサウンド・リズムになれてしまったリスナーにとってはこれのどこが革命的なサウンドであったかは理解しにくいことでしょう。しかし、それこそがこのアルバムが現代音楽を語る上で重要な基点になっている証拠なのです(この当時革命的で、現代普通ということは、このアルバムがそれをつくりだしたということですから)。
自由な音楽活動がもたらした皮肉
ライブ・ツアーから開放され、次々と素晴らしい作品を作り出していくビートルズ。その自由なスタイルが逆に個々を干渉しないようになり、彼らはそれぞれが違う方向を向き始めるという皮肉な結果を生みました。
それが顕著に表れだしたのが『ザ・ビートルズ(通称:ホワイト・アルバム)』の頃からです。この頃にはメンバーが好きなときにスタジオに現れ、自分勝手に曲を録音していくようになります。その結果、このアルバムは個々の曲は素晴らしいものの、トータルで見た場合バラバラといった印象のアルバムになってしまいました。
特にジョン・レノンはオノ・ヨーコと知り合い、一番先にビートルズから距離を置き始めます。それをもう一度つなぎとめようとしたのがポールであり、この二人の間には大きな溝が出来ることになります。その後もレコードは製作するも二人の溝は深まり、1970年ジョンが出て行くことにより、自然消滅のような形でビートルズは終わりを告げます。
代表的なアルバム
4人はアイドル [Help!]
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1965年8月発売の本作は、すでにアイドルという存在であることの違和感が前面に出された作品になっています。自分たちがビック・スターとなったことを実感し始めた彼らにとって、最初はとまどいながらもそれはうれしい悲鳴でした。ところが熱狂的なファンは熱狂的であるがゆえに、次第に常軌を逸していくようになります。
このような姿をビートルズの主演第2弾映画『ヘルプ!(4人はアイドル)』では、南洋の怪しげな宗教団体に後を追いつづけられるという形に変えコミカルに描いていますが、それは本人たちにとっては笑えるものではなかったようです。それを如実に表したのが「ヘルプ」。この歌のなかでジョンは、巨大になりすぎたビートルズという怪物の中で自分を失いかけている姿を描いています。この曲自体、はっきりいって泣き言の曲なのですが、そうしないではいられないほど追い詰められていたのではないでしょうか。
アルバム全体の構成としては、R&R、フォーク、C&Wと、更に多彩なところをおし進めたものとなっています。「悲しみはぶっとばせ」「涙の乗車券」などは映画の挿入歌として作曲されていますが、それだけでなく、「ヘルプ」に通ずる同じような感情が感じられます。このような感情は後の「ラバー・ソウル」や「リボルバー」へと辿りついていくことになるのです。
そして、弦楽四重奏をフィーチャーし、ロックの新たな展開法として絶賛されたポールの「イエスタデイ」。この曲によってこのアルバムの価値が決まったといっても過言ではないでしょう。この曲はポールが朝目覚めた時にはすでに曲が出来ていたといわれ、いつも批判的なジョンもその素晴らしさを素直に認めているほどでした。また、この曲ほどカバーされた曲はなく、2000通り以上いろんなアレンジでカバーされつづけていますし、この曲によってビートルズは初めて大人たちからも認められ、ミュージシャンからアーティストへの階段を上り始めることになります。
ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ! [A Hard Day's Night]
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1964年にリリースされたビートルズのサードアルバム。同名タイトルの映画に使われたサントラ曲も収録されています。CDの前半部分がサントラ、後半がオリジナル曲になっています。このアルバムにてはじめてオリジナルのみの構成になりました。
このアルバムの一曲目、「A Hard Day's Night(ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!)」はリンゴ・スターの「今日も大変な一日だった」といった一言がモチーフとなって、出来たと言われています。このアルバムでは、ジョン・レノンが9曲ボーカルをとっており、もっともジョン・レノン色の強いアルバムとなりました。そんななか、ポール・マッカートニーは「キャント・バイ・ミー・ラヴ」で一矢を報いています。
サウンド的にはパーカッション類を増やしたり、12弦ギターを導入したりと厚みの出るサウンドを特徴としています。「アンド・アイ・ラヴ・ハー」では、今までのポップスにはない試みがなされます。また、この曲以前まで、ポップスと言えば "君と僕" といった一人称と二人称で歌われていました。そこへ彼らは、ハー(彼女)という3人称を登場させたのです。これは今後のミュージシャンたちの歌詞の世界にも多大な影響を与えました。比ゆ表現をうまく使った「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!」も含め、歌詞に重きがおかれたアルバムと言えるでしょう。
このアルバムも全英チャートでは初登場1位、次回作のアルバムが交代するまではずっと1位の座を守りつづけました。と言うことは、1枚目「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位をとってから、次回作「ヘルプ!」まで一回も全英では1位を譲り渡したことがないと言うことですね。スゴイ!の一言です。
プリーズ・プリーズ・ミー [Please Please Me]
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1963年3月リリースのデビュー・アルバムです。当時、LPをリリースするバンドはあまりなく、大きなヒットや有名な映画などのものに限られていました。その慣習を打ち破ろうと、プロデューサーのジョージ・マーティンは強く推し、リリースへとこぎつけます。結果は知ってのとおり、英国で30週チャート・トップ独占という大ヒット、遅れて2年後の再発売で米国でも大ヒットします。
このアルバムに関しては、1963年2月11日にたった15時間で全曲をレコーディングしたということは有名な話です。また、[1][2][6][7][8][9][11][13]以外はすでにロックのスタンダードに挙げられる曲のカバーでした。ちなみに「ツイスト・アンド・シャウト」はカバーです。以外かもしれませんが、オリジナルは当時あまり知られていなかった "アイズリー・ブラザーズ" が歌っています。しかしそこはビートルズ。カバーなのに原曲を超えちゃっています。また、オリジナル曲に関しては、デビュー曲「プリーズ・プリーズ・ミー」といい、「ラブ・ミー・ドゥ」といいのジョン・レノンのハーモニカが冴えています。
アルバム全体を通して分かるのは、ジョン・レノンがこのバンドのリーダーである、ということです。このカラーは中期の頃まで続きます。ジョン・レノンこそがビートルズというのを象徴するアルバムです。
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド [St. Pepper's Lonely Hearts Club Band]
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ライヴ活動を停止した彼らが、今までにないほどの時間と労力を費やして作りあげた傑作。一曲目でいきなり、クラブでライブをしているかのようなオープニングから入っていきます。全体を通じてひとつのコンセプト(アルバムを通じて一貫したテーマをもつこと)で仕上げられた最初のアルバムです。
コンセプト・アルバムなので、一曲一曲がどうのこうのというのはあまりないのですが、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」の頭文字が "LSD" であることから、ドラックによるハイな状態を歌ったものであると言われたり、BBC放送が「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」はトリップ称賛の歌、という理由で放送禁止になったりと、話題には事欠かないアルバムだったようです。このように、アルバム・ジャケットといい、前述の曲のタイトル・内容といい、60年代後半のドラック体験を元にして書かれた楽曲は、サイケデリックな時代を反映し、素晴らしいながらも難解な仕上がりとなっています。
しかしながら楽曲に関しては、特に「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」からラスト「ハー・マジェスティー」まで続くメドレー風のパートがすばらしく、ローリング・ストンズ誌で「B面だけで『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を超える」とまで絶賛されてもいます。
サウンド的には、オーケストラやブラスバンド、さらにはシタール(インド楽器)を使ったりと、あらゆるジャンルの音楽のエッセンスが凝縮されています。一曲一曲はバラバラでまとまりがないのに、トータルではひとつのカラーをうちだしているとてもとても不思議なアルバムです。
レット・イット・ビー [Let It Be]
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ビートルズ解散間際の最悪の雰囲気のなか、レコーディングされた「レット・イット・ビー」。発表は69年で最後でしたが、録音は「アビーロード」のほうが後に録音されています。崩壊寸前の姿をとらえた映画「レット・イット・ビー」でもわかるように、最悪の状態でレコーディングは進みます。最初「ゲット・バック」というタイトルでアルバムは完成するのですが、メンバーがそれを没にし、アルバムはお蔵入りになりそうになりました。しかし、プロデューサーのフィル・スペクターにより、アルバムは完成。「アビー・ロード」におくれて、最後のアルバムとして発表されました。
収録された曲を聴いても彼らの気持ちがわかります。すでにビートルズから外に目が向いているジョン・レノンは「アクロス・ザ・ユニバース」と歌い、中立の立場にいるジョージ・ハリスンは、心の内面に目をむけた「アイ・ミー・マイン」を歌いました。そんな中、もっともビートルズを存続させたかったポール・マッカートニーは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」で今までの軌跡を辿り、「ゲット・バック」で "外" へと向かうジョン・レノンに戻って来るよう訴えます。「ゲット・バック」の間奏でポールが "Get back, John Lennon" とつぶやく部分がとても悲しく聞こえます。
そして、このタイトル曲でもある「レット・イット・ビー」。"天命を尽くして人事を待とうとした(Let It Be)" ポールの願いも、ジョンには "なるようにしかならないのさ(Let It Be)" という意味でしかなく、その思いは届かなかったのでした。
マジカル・ミステリー・ツアー [Magical Mystery Tour]
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1967年にリリースの本作は、MTV時代の先駆をいく作品として現代では評価されていますが、発売当時はビートルズ作品としては、初めて酷評されました。作品自体は、リンゴがジェシー(ジェシー・ロビンズ)を奇妙なバス旅行に招待した事から次々に起こる奇妙なファンタジーの世界を描いたものですが、音楽を音よりも視覚的に感じさせようとしすぎ、あまりストーリー性がなく散漫な作品となってしまいました。全体の構成としては、サウンドトラック(1曲目から6曲目まで)に、67年のシングル曲(7曲目から11曲目)を加えた仕上がりとなっています。
曲のクオリティと言う点で見ると、酷評された割には「ブルー・ジェイ・ウェイ」や「アイ・アム・ザ・ウォルラス」でのエレクトロニクス導入の試みや、「フール・オン・ザ・ヒル」の丘の上で愚か者(Fool)が吹くリコーダーのメロディの素晴らしさなど、聴きどころは非常に多い作品です。発売当時はLPだったため、AB面に分れているので気になりませんが、CDの場合だと6から7へと移るところは違和感が残ります。サウンドトラックとシングル曲群は分けて聴くと気にならないかもしれませんね。
タイトル曲他、前述した「フール・オン・ザ・ヒル」、ジョンが自嘲的に自分のことをセイウチに例えた「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、ジョン・レノンの子供の頃への憧憬を描いた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、それと対になったポール・マッカートニーの「ペニー・レイン」、アルバム全体を包む奇妙な空気からふと現実感を取り戻させてくれるポール・マッカートニーのポップ・ナンバー「ハロー・グッドバイ」、ミック・ジャガーなど大物ミュージシャンたちがプロモーション・ビデオに参加し話題になった「愛こそはすべて」などなど。
今から考えると、誰もが知っているようなヒット曲満載のとんでもなくおいしいアルバムになっているのに何でそんなに酷評されたのでしょう? 評論家にとっては「映像といっしょに出てきたのだから当然映像も良くなくちゃね」と言う理由だったのかもしれません(本当のところは分かりませんが...)。とにかく、このアルバムの雰囲気のせいでしょうか、全体を通して聴くと奇妙な脱力感にとらわれます。
ザ・ビートルズ [The Beatles]
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なにも印刷されていない白無地のジャケットから、俗に「ホワイト・アルバム」と呼ばれています。2枚組30曲入りで色々なタイプの曲が収録されています。
技術的な進歩として、この頃より8トラックでレコーディングできるようになリます。その結果、メンバーがそれぞれ別テイクで録音し、あまり顔を合わさなくともレコーディングできるようになりました。そのため当時の批評家からはまとまりの無さを指摘されました(現在ではロックやポップスで使われる音楽の要素が詰まっている、と高く評価されています)。
また、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと知り合ったのもこの頃でした。このレコーディング技術の進歩とヨーコとジョンの繋がりが、結果としてメンバー間に亀裂を生じさせ、後に来るビートルズ崩壊の始まりを招いたと言われています。
収録曲は、チャック・ベリーの「バック・イン・ザ・U.S.A.」をパロった「バック・イン・ザ・U.S.S.R」に始まり、スカ・ビートを取り入れた「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」、セッションで参加したエリック・クラプトンの泣きのギター・ソロが聞ける「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、ジョン・レノンの母親への思いを歌った「ジュリア」、英国のブルース・シーンへの批判を込めた「ヤー・ブルース」、U2をはじめ、多くのハード・ロッカーたちにカバーされている「ヘルター・スケルター」、オノ・ヨーコの影響がありありと現れた実験的な曲「レボリューション1」と「レボリューション9」など、多様な録音技術を多種の楽器を使い、バラエティ豊かです。
本国英国では予約だけで30万枚という(今で言えばその十倍近くあるかもしれません)大ヒットとなります。また、米国ビルボードでも1年と言う永きに渡り、ベスト100位以内にいました。もちろん本作もNO.1を獲得しましたが、2枚組のアルバムとしては初の快挙でした。
この「ホワイト・アルバム」は前作「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と表と裏といわれ、よく比較されます。カラフルな前作とモノ・トーンの本作。ポジティブとネガティブ。どちらが表でどちらが裏かは皆さんの判断にお任せします。2枚のアルバムを聞き比べて見てください。
リボルバー [Revolver]
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次から次へと心を打ち抜く曲が打ち込まれてくる66年発表の「リボルバー」。今までのジョン・レノンがイニシアチブを握っていたのですが、この作品あたりからポールの個性がだんだん際立ってきます。映画撮影の中止と相まって3ヶ月の休暇を取れた彼らがスタジオで2ヵ月半かけてじっくりと作り上げたサウンドは、管弦楽器の採用、テープの逆回転、インド音楽、ブラスサウンド、前衛サウンドと後の作品へとつながる色んな実験的要素に満ちています。
ジョージ・ハリスンもビートルズ第3のコンポーザーとしての力量を見せつけた1曲目「タックス・マン」、管弦楽だけで演奏され、ピリピリとした緊張感を感じられる「エリナー・リグビー」、テープの逆回転を使い、夢をみているような浮遊感を感じさせてくれる「アイム・オンリー・スリーピング」、美しいバラード「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」、ブラス・セッションを取り入れた「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」、ドラックでトリップした状態を歌った「シー・セッド・シー・セッド」など、全体的にシャープでエッジの聞いた機械的なサウンドとなっています。また、全体的な印象として、そのサウンドに対してポール・マッカートニーのメロディがその印象を少しやわらかいものにしているように感じます。
本作は全英チャート9週連続1位、全米チャート6週連続1位とヒットしました。この作品でジョージ・ハリスンのコンポーザーとしての才能が開花しましたが、ジョン・レノンがドラックの影響からか、いつものシャープさが感じられない作品となってしまいました(でも、ジョンの場合、シャープじゃないくらいがちょうどいいのですが...)。そして、ラストの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」。この曲こそこれから迎えるビートルズの混迷の時期を示唆しているかのように思われます。
ラバー・ソウル [Rubber Soul]
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サウンドばかりでなく、ジャケットもコンセプトもすべて彼らによってプロデュースされ、ビートルズがビートルズになった最初のアルバムです。音楽的にはアコースティックでソフトなイメージがあります。
かなり古い話になりますが、村上春樹作の恋愛小説のタイトルにもなった「ノルウェーの森」が全体の雰囲気をかもし出しているといえば伝わるでしょうか(まあ、実際には本作を聞いたイメージで村上春樹氏が小説を書いたのだと思いますが)。とにかくアルバム自体の印象は森の中といったイメージがあるのです。よくジョン・レノンは曲のイメージをメンバーに紹介するとき、色や風景に例えていたといいますが、ジョンも同じようなイメージでこのアルバムのコンセプトを作ったのではないかと(勝手に)思います。アルバム・ジャケットを見ても、バックに森(にちがいない)が写っていますし。
ビートルズの楽曲自体のクレジットは "レノン・マッカートニー" で統一されているのですが、このころからどちらが作った曲なのかがはっきりとわかるようになってきます。フラットで直線的なメロディと実験的なフレーズのジョン・レノン、滑らかで聴きやすくメロディアスなポール・マッカートニー。それはジョン・レノンの「ガール」とポール・マッカートニーの「ミッシェル」を聞き比べてもらうとはっきり分かります。
ウィズ・ザ・ビートルズ [With The Beatles]
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ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を30週連続1位の座から引き摺り下ろしたのが、この2ndアルバムです。全体としてラフで泥臭い、といった印象があります。4トラックで録音されており、当時としてはかなりハードなサウンドとしてとらえられていました。前作同様 [1] [2] [3] [4] [5] [9] [11] [13] がオリジナル、後はカバー曲となっています。
中期あたりからは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの作風は明らかに違ってくるのですが、この頃はジョン・レノンの作風にポール・マッカートニーが合わせている(または学んでいる)ようなところがあります。ただ「オール・マイ・ラヴィング」あたりに今後のポールを指し示す兆候が出てきてはいます。
印象的なモノ・トーンのジャケットはハンブルグで活動していたときの友人アストリット・キルヒヘルによる撮影で「ハーフ・シャドウ」という手法です。また、ちなみにほとんど同じようなジャケットでキャピタル・レコードから発売された「ミート・ザ・ビートルズ」がありますが、本作とは曲のライン・アップも若干違っています。
アビイ・ロード [Abbey Road]
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ビートルズによって最後に録音され、「ビートルズが創り上げた最高傑作」と評価する者が多いアルバム。1969年9月発売。A面(CDでは「アイ・ウォント・ユー」まで)はジョン・レノンのカラーの強いシングル・トラック集、B面はポール・マッカートニーのカラーが出たメドレー集となっています。とにかく1曲1曲のクオリティが高く、一度は聴いておきたいアルバムだと思います。
このアルバム・ジャケットは、タイトルでもあるアビー・ロード前で撮影されたのですが、この写真はレコード・ジャケットの中でももっとも有名なものとなりました。このジャケットが世に出たとき、"ポール・マッカートニー" 死亡説が取りざたされます。その根拠は、列の三番目に歩いているポール・マッカートニー一人が裸足であることからきています。隊列の先頭を行く白いジャケットのジョン・レノンは「イエス・キリスト」、2番目の黒いジャケットのリンゴ・スターは「引受人」、そして3番目の裸足のポール・マッカートニーは「死者」、ラフなジーンズ姿のジョージ・ハリスンは「墓堀人」を意味しているというのです。
楽曲に関しては、特に、「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」からラスト「ハー・マジェスティー」まで続くメドレー風のパートがすばらしく、ローリング・ストンズ誌で「B面だけで『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を超える」とまで絶賛されています。
上記の話題もあってか、このアルバムは1500万枚以上売り上げ、英国史上もっとも売れたアルバムとなりました。発売時期は次作「レット・イット・ビー」よりも早いものの実質録音自体はこちらのほうが後であったため、このアルバムがラストとなりました。













